平蔵さんの今度のアイメイトです。
写真はオーディン8歳の写真ですが、10歳9か月で退役をしまして、今はご隠居さんといったところでしょうか。 平成27年7月になりました。毎日の散歩とお昼寝で元気に暮らしています。
平成28年5月16日
僕「オーディン」は皆さまとお別れの時がきました。本日午前2時ごろ永遠の眠りにつきました。
ここのところ、いつも寝てばかりでいたので実感はわかないのですが。4月16日立ち上がれなくなりKさん、平蔵さんが付き添って動物病院に行きましたが、高齢化によるものとの判断でした。
しかしながら、少しでも元気にと食べ物を口に入れてもらったり、流動食を注射器で口に入れてもらったりしたのですが、どうしても受け入れられず戻してしまいました。お水だけはなめるように飲んでいたのですが、10日ほど前から水も飲めなくなりました。
深夜であっても、ワンツーを知らせると抱きかかえて庭の芝生まで連れて行ってもらい、用を足しました。時には深夜に芝生の上で2時間もKさんが付き添ってくれていましたし、
平蔵さんも知らせを聞いて度々来てくれ、抱いて部屋まで運んでもらったりと、1か月にわたり看病をしてもらいましたが、…。
今まで多くの皆様に関わっていただき、また大変お世話になりました。「ありがとうございました」
平成28年3月23日
朝は少し冷え込みましたが、曇り空とはいえ、暖かな日となりました。
いつものように朝と夕方、Kさんと食後の散歩をしているのですが、今年になってから僕は鼻がなんともおかしくて時にはくしゃみの連続です。
人並み、いや犬並みとでも言うのでしょうか「花粉症」の症状のようです。まあ、ご隠居生活だからいいのですが、現役の時では大変だったと思います。
何か「犬も花粉症」になるのだとか。平蔵さんもどうしたらよいのか分からないようです。「温かくなってきたのでこまめにシャンプーでもするか」などとのたまわっていましたが、僕もどうしてもらったらいいのか分かりません。
家の中でのんびり寝て過ごすのが良いのかも知れません。
僕オーディンも退役してからもうすぐ2年賀経ちます。
相変わらず朝食とその後の散歩、夕食とその後の散歩が日課となっています。昨年暮れから新年にかけて温かい冬となりましたが、ここ数日本来の寒さがやってきました。
ほとんどが家の中で過ごすのですが、僕の面倒をみてくれるKさんが3時間以上出掛ける時などは平蔵さんが様子を見に来てくれています。そのたびによだれを平蔵さんのズボンにこすりつけて叱られていますが、歳のせいかよだれの出は多いと言うか、口のしまりが悪いのか…。
僕に人間の言葉が話せれば「平蔵よ、歳を取れば分かる。いずれあんたもよだれを垂らしながら生活をするようになる。僕が鏡だ」と。
まあ、ともかく皆さま今年も元気で頑張りましょう。
平成28年1月14日
7月13日
きょうからお盆さんです。いつものように朝の散歩は甲府盆地が一望できるお墓まで行きました。
一昨日以来猛暑が続いていますが標高750メートルではさすが早朝は涼しいです。
Kさんがお墓の掃除をしている間は野鳥の声を聞きながら冷たいコンクリートにお腹を付けて涼しさを満喫。日中は家の中で過ごすことになりそうです。
6月15日
僕も本日で12歳になりました。毎日の生活は朝晩の散歩と言ったところでしょうか。
ここ数日蒸し暑く、梅雨入りしたのかしないのか、天気予報で降るようなことを言ってはいるのですが、雨はあまり降りません。
昨日は朝の散歩で近所の果樹園をイノシシが歩いていました。散歩してくれるKさんはちょっとビビッてしばらく立ち止まっていましたが、僕は平蔵さんと一緒の時は何回か見慣れた光景でしたので、さほど驚きはありませんでした。
平蔵さんと言えば、マダムメリッサと相変わらず甲府へ出掛けたり、山の畑に出掛けたりとしているようです。体調を崩さねばと僕のことをさておいて、願うばかりです。
平成27年1月3日
「皆様明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。」
僕は退役して10ヶ月ほどが経ちました。ほとんど毎日平坦な散歩道を散歩したあとは寝て過ごすご隠居さんといったところでしょうか。
時々平蔵さんもきてくれますが、平蔵さんの歩くスピードではとてもとても、と言ったところです。
まあ、寒い冬は部屋の中でのんびりと過ごすのが一番です。皆様もお元気でお過ごしください。
7月3日
平蔵さんをめりっさに任せて3ヶ月が経ちました。僕といえば早朝の涼しい時間帯にお世話をしてくれるお姉さんと散歩し、昼間は縁側で通行人や車の流れを見て過ごすのが日課となっています。
何度かめりっさの様子を見ましたが、「てぇ、てぇ ヨタビクじゃん」と朝のドラマの言葉を借りると、今のところこんな表現が当てはまるでしょうか。
そんな反面、「マダム・めりっさ」と平蔵さんが呼んでいるような面も持っているようです。特に最近は飛んでいる虫などに興味を見せているようで、平蔵さんにしかられているようです。
僕も退役してからしばらくになりますが、平蔵さんの従弟の家でのご隠居生活ですが、時々Kさんがやってきて散歩や車に乗せて里帰りもさせてもらっています。
平蔵さんとマダムの様子も見ますが、まだまだといった感じでしょうか。これから夏に向かって平蔵さんが山の畑に行くときには僕もKさんと一緒に行ってみたいと思います。
平成26年2月18日
先日の大雪の影響でこちら山梨では中央道は開通とのニュースは流れたものの、近くのインターが入ったり出たりができない状況は続いていますし、中央本線の電車は動いてはいない状況です。
そんな中、平蔵さんは毎日が除雪作業で筋肉痛とのことです。敷地内の通路の両端は高く雪が積み上げられています。しかし、中には除雪中の県道市道に宅地の雪を捨てている愚か者もいます。あきれてものも言えません。
平蔵さんの家族は二人と一匹ですが、食料の備蓄は2ヶ月を備えています。今週末から4週間訓練に入るため食料に余裕があるとのことで、近所で野菜など不足している家にはKさんが野菜をあげています。
そんなときお肉が必要なら、もっとも新鮮な鶏肉ならありますよ、などと話をしています。なんとなれば、後期高齢を迎えている鶏とウこっけいがいるからですが、さすがに生きたままでは欲しいという人はいません。
僕が鳥小屋のそばに行くと、餌を保存しておく鳥小屋の一部にすずめが20羽ほどいました。
ウコッケイが「そんなところに入っていると平蔵さんに捕らえられ焼き鳥になってしまうよ」と。すずめは「もう何回もドアを開けて逃がしてくれたのだから大丈夫と。むしろ、冷凍の肉類が無くなったらウコッケイさんのほうが危ないのでは」と話していたとか?
ここのところ平蔵さんは筋トレで僕はほとんどが昼寝の状態ですが、こんな状態で予定通り訓練に入れるのか心配です。
平成26年2月15日
昨日からの雪で、今朝の積雪は1週間前の記録の2倍の1.3メートルといったところでしょうか。
平蔵さんも僕のワンツーのために庭に様子を見に出ましたが雪の壁に阻まれ出ることはできませんでした。
平蔵さんが30分ほどかけて2平方ぐらいのスペースの除雪を行い用を済ませました。
平蔵さんも独り言のように「こんなことがあるのならベランダでワンツーを考える必要が……」と。
さすがに前の県道は朝から1台も車の通行はありません。物置までの通行を確保するために除雪作業をしていた平蔵さんの上に松の木の上から雪が雪崩のように落ちてきて雪まみれの平蔵さん。僕はストーぷの前で窓越しに見守るばかりであります。
平成26年2月9日
昨日から深夜にかけての雪は平蔵さんが経験したことのないような大雪だということで、僕の体高55センチメートルと同じぐらいの積雪でした。
寝る前のワンツーは降る雪の中でしたが、今朝の雪ではとてもとても。しかしツーは玄関先のアプローチで、ワンは積雪の中にはねながら突進し体が雪の中に埋もれた状態でしました。なんとも奇妙というか、安心というか。僕の家の方ではなかなかできない経験です。
平蔵さんは朝から除雪作業で、工期は3日だそうですが午前だけで筋肉痛だと日ごろの運動不足がたたっているようです。
2月4日
先ごろの日曜に平蔵さんのお供で、ある会の「新年部会」に出かけました。場所がおすし屋さんの2階座敷だったので僕は廊下の隅に待機していたのですが。
4メートルぐらいの距離でふすまを少し開けて平蔵さんの姿も見えていたにも関わらず、ついつい鼻を鳴らしてしまいました。今まであまり離れた場所に待機したことがなかったからですが。
退役が近いからでしょうか。あと数回は電車で出かける予定もあるようですが。しかし、今日は午後より降りだした雨も雪に変わったので外出は無いようなので1日ストーブの前に陣取っています。
1月2日
喪中の我が家も静かな新年を迎えました。本年もどうぞよろしくお願いします。
さて、正月と言えば「箱根駅伝」です。僕にはよくは分かりませんが、平蔵さんには楽しみなようです。テレビではよく分からないとラジオを聞いています。
しかし、2区の半ばで地元の大学(オムバンバ)選手が棄権となりました。足の筋を痛めたようです。3区以降を走る選手には頑張って走ってほしいと思います。少しがっかりしましたが応援しているようです。あとは母校を期待しているようです。
選手が5区に入るころにはラジオを持って僕と山の方に散歩に出かけると思います。
12月28日
昨日までの雨や雪の天候は、一転して好天となりましたが、やや風が強いです。午前は縁側で寝ていたのですが、風が強くなったので平蔵さんの(僕の)部屋でガラス越しの日を浴びています。
北向きの斜面には雪が消えずに残っています。家の前の県道は融雪剤が散布され、散歩はできません。
本来であれば、新年を迎える準備などで忙しい平蔵さんではありますが、今年は喪中とのことで簡単な掃除ぐらいでしょうか。家の中にいる時間が多いようです。
12月11日
久しぶりに山の畑に出かけました。平蔵さんは「花豆」の収穫です。僕は暖かい別荘で待機といいますか寝ていました。
先日「障害者芸術文化祭山梨」の初日に行きましたが、バリアフリー映画(送り人)を見せてもらったのですが、どこがバリアフリーなのか。確かに手話通訳者がいて字幕も出ていたようです。
しかし、目の不自由な人には(副音声)でもあればと思ったのですが。付いてはいませんでした。県の職員に尋ねてみるとつけたはずですがおかしいですね、とのこと。後日聞いたところによりますとその機器を忘れたとのことでした。
展示のコーナーで彫刻や陶芸に触らせてもらおうと思いましたが、触ることはできません、とのことで見るものもなく早々と帰ってきました。
そこへいくと、平蔵さんの畑では、見えなくても粗朶をゆすると鞘の中で乾燥した豆が「カラカラ」と音をたて、ここにありますよ。通りの方向は浅い溝があり歩く方向には困りませんし、居場所は僕の部屋の近くでラジオが聞こえています。お金を掛けたイベントよりもよっぽどバリアフリーです。
まあ、体制には影響ありませんが。今日僕の別荘の近くで猟銃の音がしたのには少し驚きました。
10月11日
昨日は平蔵さんと共に全国障碍者スポーツ競技会の結団式に行ってきました。県障碍者スポーツ協会の理事として出席したつもりなのですが、なんと役員紹介で、なんと平蔵さん、副会長として紹介されました。ぎょっとしていたのは平蔵さんであります。
知りあいの選手に声を掛け、別の団体の正副会長会議に出席したのですが、その席で自立した障碍者であっても、書類などに記入するときの家族などの記入欄が「保護者」となっていることが話題としてでました。
平蔵さんのところに届いている重度医療の申請書に保護者として亡くなった母の名前もあったのですが、むしろ保護者ではなく「背後霊」とでも記載された方がと……。
障碍者差別禁止法云々と世間では言われていますが、むしろこのようなことを改善すべきではと独り言を言って居ます。重度医療の申請書に保護者の欄に「背後霊」と直して提出しないようにと祈るばかりです。
ちなみに、僕と平蔵さんの関係は「アミーゴ(相棒)」と言ったところでしょうか。
9月25日
平蔵さんは午前は家の近くの畑で作業をしていましたし、午後は軽トラに道具など持って山の畑の僕の別荘に送ってもらったので僕は留守番です。
別荘の入り口の土間といいますかアプローチとも言いますが。今までの仮説の物からモルタル塗のにする作業なので僕が出入りすると足跡などつけてしまうからのようです。
無事作業は終わって迎えの車を待つ間、インゲンなど取ろうと畑に近づいたのですが、なんと!おでこが電池を入れ替えたばかりの電気柵に触れてしまい強烈なショックを脳に受けたようです。
昼間は電気は入らず、暗くなると入るように設定はされているのですが、夕方で小雨が降っていたのでセンサーがオンの状態になったのでしょう。
アッパーを打たれたようだと言って居ましたが視力の回復はなかったようです。僕も電池残量が少ないときに尻尾の先に触れただけで声を出してしまったぐらいですからかなりのショックだったと思います。平蔵さんの一人歩きは危ないですね。
9月8日
平蔵さん、早朝いつもより早い時間起き出してラジオのスイッチを入れ2020年のオリンピック開催地の決定の瞬間を聞いていました。
7年後ですから、10歳の僕としては微妙な心持ですが元気でいたいと思います。
ここのところ、色々ありまして多忙の平蔵さんですが畑仕事も再開しています。今日は雨なので家の中にいますがお天気が良いと山の畑に出かけるのが楽しみです。
8月12日
今日も暑くなりそうです。標高750メートルの我が家でも日中は出かけることは控えています。
甲府では40.7度に昨日なったとか。平蔵さんの畑作業は午前の10時ごろまでで切り上げています。あとは僕の脇でラジオの高校野球を聞いています。
本当はキウイの棚の下が心地よいのですが蚊に刺されると、もっぱら部屋の中で過ごすここ数日です。
7月17日
Y B Sラジオが「ネット選挙」について、視覚障碍者にとってどのように変わり利用されているかと取材がありました。
平蔵さんの最初のコメントは「選挙にあまり関心はない」とのこと。僕もそばで寝ていて、うちのおやじは何を言い出すのかと。あきれたものです。
しかし、平蔵さんの世代では健常者であってもネット選挙に関心がある人は少ないようです。話を聞いているうちに視覚障碍者だからこそ候補者の政策など情報がネット上で得られ意見もやり取りができればと、言うような話も出てきましたので少し安心しました。
ツイッター、フェイスブックなどのSNSが使いやすくなればこれからも利用者が増えるかとも思いますが、まずは行政のホームページなどアクセシビリティーに配慮がされることが先決です、と平蔵さんの受け売りでした。
ともかく、平蔵さんはジャガイモの収穫がまだなのでさっさと掘ってもらいたいものです。
7月10日
昨日、平蔵さんのお供で甲府に出かけてきました。平蔵さんがパソボラ養成講座の講師で頼まれたからです。
移動手段は駅から会場など外を歩くことはなく、車での移動でしたからまだよかったのですが、日本で一番暑かったとか、駅のホームに待っていても半端の暑さではなかったですね。時々冷水をいただきながら帰ってきました。やはり家は涼しいです。
6月24日
先週の金曜日から3日間日盲連の福祉大会(福井大会)に平蔵さんのお供で行ってきました。会議は僕にとって退屈なことばかりでしたが1日目の宿泊先では平蔵さんと僕だけでとても広い部屋に泊まることができました。
和室と洋室、どちらに寝てもよいとのことでしたが平蔵さんの遠慮でベットの洋室に寝ることとなりいつものように僕はベットの脇に繋がれたのですが。
結び方があまい。平蔵さんの寝静まったことを確認し和室応接間など探検に出かけました。あまりの静けさに僕の足音が響いたのでしょうか。
目を覚ました平蔵さんは人が歩いているように錯覚をしたようです。僕の脱走に気づくと「コラ」と叱られこっそりともとにもどることに失敗しました。
洋間のドアを閉めておかなかったのが油断とか。しかし隣には空いてるベッドもあったのでまだまだ甘い平蔵さんです。
その他では帰りに行った彦根城には疲れました。何しろ石段が不規則・形が不揃い。天守閣にも上るように案内はしてくれたのですが、最後の階段は狭く傾斜がきつく上っても降りてこられないと、断念しました。
まあ、いろいろありましたが、福井県・石川県の皆さんお世話になりました。
5月10日
久しぶりに丘の上の畑に出掛けました。僕の定位置は馬小屋の軒先に平蔵さんの手作りのコーナーで畑全体を見渡しています。
少し不満があるのは、頭上に蚊取り線香がくすぶっていることです。そんな心持が通じたのでしょうか、馬小屋の一部屋をリフォームして僕の居場所(別荘)を作ってくれるとのことです。すでに2か所の窓とドアが業者によってアルミサッシになっています。
あとはコンクリートの土間から少し上げて床を張るのと壁を張り直す予定だそうです。仕上がれば四畳半ぐらいの部屋で網戸に守られながら平蔵さんの作業の終わるのを待っていればいいのですから。
早く仕上げてほしいと思いながら平蔵さんの作業を眺めていると、なんと……。平蔵さんが畑にまいているのは部屋の根太の高さ調整に使ったセメントではありませんか。畑にセメントまいてどうする。路盤改良じゃあるまいし。
あきれました。セメント約15キロぐらい残っていたものをまきおわってから気がついたようです。苦土石灰とセメント同じ紙の袋、触った感じが同じ、原料はは似ているから、と言い訳をしているがややショックは受けているようです。どんな野菜が取れるのでしょうか?
5月2日
昨日午後6時ごろ、平蔵さんは食事の後片付け、僕は食後の居眠り。Kさんは台所口から裏庭へ。「(ギャー)とKさんの悲鳴」
なんと、イノシシがコーンポスト(生ごみ処理器)のふたを開けようとしていたのです。入ってくるとすれば、周囲は電気柵やネットで囲ってあるので、正面から中庭の通路を通って来たようです。
暗くなるころはそこも封鎖するのだが、甘く見られたものだと平蔵さん。早速物置よりカナてこを持ち出したのですが、重さにフラフラしながらネットに突っ込んだイノシシの方へ。しかし、ネットを食いちぎって逃走。
違法だとは分かっているのだが、畑にはイノシシ用の罠がしかけてあり献上品のリンゴやキウイなど果物はしっかりと食べられているようです。今日もリンゴやキウイをバケツに入れてイノシシの食生活の支援をする平蔵さんです。軍配はイノシシだと。
4月24日
平蔵さんは時々、リンゴやキウイなどの果樹の芽吹きを手で触っています。19、20日の寒さで凍ったのでしょうか新芽が茶色に変色し、触るとこなれてしまいます。
特に早く芽吹いたキウイと柿の新芽がひどいようです。ジャガイモも土から出ている部分が被害を受けたようです。これは気候の問題で仕方がない、と平蔵さん。
寒さのせいではありませんが、僕も歯のゆるみと歯茎の後退でつい暇な時はクチャクチャとおじいさんみたいにしてしまいます。そんな時歯茎から出血がひどく、夜中に平蔵さんが血のにおいで目が覚めたというほどでした。そんなことが2度ほど続いたときに獣医さんに診てもらいきちんと治療する日も決めたのですが、そんな2日後ひどい出血があったのですぐに病院で治療を受けました。原因となった歯を数本抜いてもらい、今は落ち着いています。
どうも、僕の足をなめる癖と口内でクチャクチャする癖が何ともやめられないのでこまりますが、「馬の無くて七癖」という言葉もあるように、僕の癖はまだまだ。
4月9日
ここの内容は本来であれば、趣味のコーナーに記載すべきとは思いますが。とにかくあまり参考にはなりませんのでご承知ください。
いよいよ平蔵さんも農作業が始まりました。まず、ジャガイモの植えつけです。小ぶりのもの以外は二つに切って植えつけます。その切り口は木を燃やした灰を付けておきます。
僕が見ていると、ジャガイモを二つに切るのですが、時々切った片方がポテトチップみたいに薄くなり「これでは発芽しないか?」などと言い訳をしながらの作業をしています。そうは言っても、山平家の1年分の収穫を予定しています。
本日は以前植えたレタスの苗が余っているからと、追加で植えつけています。
3月11日
数日前にネットにひっかかって泣きわめいたイノシシが昨日も別の隣家のネットにひっかかって泣きわめいていましたが数人のギャラリーが見ているとまたもや偶然にも外れて立ち去りました。
同じようなネットに阻まれたイノシシは、平蔵さんから言わせれば「アホなイノシシ」となりました。
トラクターを入れておく物置に今朝で4日連続となるお土産を置いて立ち去りました。平蔵さんの悪口が聞こえていたようです。
それを片付けるのはKさんですが、平蔵さんから「母親の介護とイノシシのための クソだらけの人生。生きている証拠だ」と言われたKさんに「イノシシが物置に入らないようにどうにかして」と言われ平蔵さんとイノシシの知恵比べが本日スタートしました。
物置の奥にはリンゴとキウイが保存されているのですがそれを別に移すのも大変だと裏庭の一部をネットで封鎖することとしたようです。
3月7日
久しぶりに温かい朝を迎えました。僕はワンツーの後、朝食をいただいていました。
いつもこの時間、平蔵さんは鶏に餌をやりに行きます。いつもなら数分で戻ってくるのですが、なかなか戻ってきません。
遅い遅いと思っていましたら、勝手口から「イノシシがネットにからまっているようで泣いている」との声が。
僕より少し小さめのイノシシは鳥小屋の裏側にある内田さんの畑のネットと挌闘のようだ。
平蔵さんが鶏に餌をやろうとドアを開けていると、隣の果物を保存している物置の中よりブルーシートを動かす音がしていたので声をかけたが返事はないので鳥小屋に避難したという。
微かな足音がして豚が泣き叫ぶような声。しばらくしてから裏庭から勝手口に戻ってきた平蔵さんが家の人に見てもらうと、イノシシがネットにひっかかっているとのこと。10分ほどしてネットを外して退散。
2月9日
新年を迎えて、早くも2月中旬に入ろうとしています。先日の雪も日陰だけに残っています。
陽射しは春を思わせますが風は冷たい今日この頃ですが、僕は部屋の日だまりで過ごす日々となっています。
3年ぶりに平蔵さんのお供で眼科医に出かけてきました。昨年新しい建物に移転した病院でしたので家の人に一緒に行ってもらい、安心できましたが一度では様子が分からないです。
次に行くときは、行く時で、どうにかなるでしょう。
12月27日
平蔵さん、やっとパソコンの前に座りました。23日裏庭の通路の敷石が地面より下がってしまったのでその石を持ち上げようとカナテコを使う平蔵さんでしたが、凍っていた石と地面に滑ったのでしょうか。
自分の体重を掛けて押し下げたカナテコが外れて、なんと平蔵さんの左太股に直撃。しばらく痛みをこらえていたようですが。その後2時間ほど片づけ作業をしていましたが、昼食後あまりの太股の腫れと痛みに寝てしまいました。
翌日は痛みもやや少なくなったのでしょうか、午前は窓ふきをやっていましたが、またも、昼食後患部の腫れと痛みでベットに。深夜になっても痛みは増すばかり、熱も出てきたようで痛み止めの薬も効かないようでした。さすがに僕も隣で気になってしかたがありませんでした。
クリスマスイブの深夜1時ころ、パジャマ姿で救急医へ連れて行かれました。病院でけがの原因を話したようですが、「カナテコ」の意味がスタッフには分からないようで、先生は「静かに寝ていなさい」と。
「カナテコ」は特注の金棒のような物で、市販のカナテコより長く岩盤に穴を空ける削岩機のロットを使い作ったものです。昔工事現場の所長をしていたころトンネル工からプレゼントされたものといい、重宝していたようですが、若くない平蔵さんには少し扱いが困難になってきたのでしょうか。
昨年の暮れは気管支炎で、今年はこのザマ。僕のワンツーにも片足を引きずりよたよたしている始末。なんと情け無い状態なのであります。
12月9日
寒い一日でした。僕は平蔵さんと援護功労者の知事表彰式に出かけてきました。疑問に思ったのが、平蔵さんは障害当事者であり、その援護しているのはこの僕オーディンであります。
本来であれば、援護功労犬として僕が選ばれてもよいと思うのですが、おそらく何かの手違いでこの結果が出たのではないかなと推察しています。
しかし、受賞者を代表して挨拶と言うことであれば、やはり平蔵さんの口を借りなければならないと思いますが、その挨拶の中でほんの少しだけ僕のことに触れてくれましたから良しとしますか。
12月2日
昨日、12月1日に僕の育った訓練所に里帰りしてきました。なんと、卒業以来7年ぶりです。僕を訓練した訓練士は居ませんでしたが記憶に残る方々が笑顔で迎えてくれました。
同行した何人かが体験歩行を受け、歩く速さに驚いていました。僕たち盲導犬を見直していただけたのではと思っています。
さてその翌日、今日ですが昨日通った中央道の笹子トンネルのコンクリート壁が崩落し、大事故となりました。一日中山の向こう側はヘリの爆音が聞こえていました。事故に遭われた人々にはお見舞いを申し上げます。
11月28日
平蔵さんは今月は多忙な月となっています。いつもであれば畑の作物(果物や野菜)は収穫が終わっているのですが、今年はどうも、本人はやっているつもりなのですが。
今日もリンゴと白菜の収穫とその保管作業をしているのですが、白菜は何回かの霜で少しいたんでいるようですし、リンゴは野鳥のヒヨドリがおいしそうなのに穴を空けている物が目立ちます。
リンゴは平蔵さんが食べるときに僕もいただけるのでちゃんと保存をしてもらおうと監督です。
10月15日
8月の中旬に種蒔きした大根ですが、平蔵さんは乾燥状態にもかかわらず、発芽した大根にせっせせっせと散水をして成育を楽しみにしていたのですが、10cmぐらい育ったころから徐々に溶けてきました。
2種類の大根、予定本数500本。先月から今月の初旬にはほとんどが消えた状態。暑さに負けたのでしょうか。今までにない失敗作となりました。しかし、白菜はいまのところ順調に育っていることが唯一の救いです。
9月8日
平蔵さん所属のNPO主催のセミナーに参加するために最寄りの駅から電車に乗りました。僕も少し夏の疲れがでたのでしょうか。
胃の調子が少し悪かったのですが、比較的涼しい日でもあり出かけたのですが、電車に乗ってすぐに僕は朝食べた物を戻してしまいました。あせったのは平蔵さんではありますが、すぐにも若い女性がその処理を手伝ってくれたのです。
なかなかできないことですが感心してしまいました。本当にありがとうございました。
と言うことで、大事をとりまして、二つ目の駅で降り帰って来ました。ご迷惑をお掛けしました。
8月15日
朝晩はだいぶ涼しくなりましたが、やはり日中は暑い日が続いています。
平蔵さんがトップページに記載したバーチャル工房山梨主催のセミナーの会場確保のため、以前会場視察とセミナーの説明に法人のある町に行きました。
担当課長と話をする中で、僕を見て「こういう動物も何頭も来るのですか」と言い、一緒にいたJさんが「盲導犬です」と言い、平蔵さんは少なくとも2頭は来ます」と。
それからは、課長のことを「動物課長」と呼ぶようにしています。会場を仮押さえしたのですが、再度説明に来るようにと言う事でしたので、別の会場にて行うことになりました。僕は平蔵さんの相棒であり、家族の一員だと思っていますし平蔵さんや家族も同じです。
8月6日
ロンドン五輪も中盤の熱い戦いが行われています。僕も猛暑との戦いを行なっています。なんと平蔵さんの家にはエアコンは有りませんが標高が高いので家の中では涼しい日々を過ごしています。
1日と4日に甲府に出かけましたが電車を降りてからは猛暑にさらされてしまいます。1日には駅から3分ほどの距離にある元麻布ギャラリーにて茶席のイベントに柄にもなく平蔵さんが出かけたのです。通りを熱する様子に僕は落ち着きません。そんな様子から平蔵さん後ろ髪を引かれる思いで一刻も早く涼しい我が家へと。
4日にはバーチャル工房の行事で研修会と納涼会に出かけました。会の方の車で駅から会場まで移動でしたので本当に助かりました。帰りは夜になったのですが蒸し暑くなかなか涼しくはなりません。ポカリスエットで水分補給しながらの帰宅となりました。
今日は朝からの雨で、久しぶりのお湿りだと平蔵さんも農作業はしないようです。
7月12日
7月に入り平蔵さんの畑では夏野菜の収穫となっています。
先月より、食卓にのるのはレタス、キャベツ、ブロッコリーなど、同じ野菜が続きます。何と言っても取れ出すと同じ物が連続します。
僕が毎日同じフードで我慢している気持が平蔵さんにも少しは分かってもらえたと思います。
ここ数日は、トマトとキュウリのサラダ、キュウリの漬け物はほぼ毎食です。どうにかバランスよく作れないでしょうか。
そうそう、西瓜も作っているのですが、勢いよく育っていると聞いていた平蔵さんはわらを敷いたり雑草を取り除いたりしていましたが、西瓜の葉に触れてびっくり。手触りが違う。
なんと、苗で購入した接ぎ木苗の台木のユーゴのつるが勢いよくのびていたのです。肝心の西瓜の芽はしょぼくれて育ってはいません。これで西瓜は収穫できるのでしょうか?
平成24年6月15日
いつものように山の畑に平蔵さんのお供で出かけました。昨日蒔いた花豆の種が足りなくて追加と言うことのようです。
早めに帰って庭のモミジの手入れを始めましたがすぐにはしごから降りてきてしまいました。僕は居間の定位置でガラス越しに見ていましたが、何やらモミジの地上から5mぐらいのところに野鳥の巣が有ったようです。
手探りで作業をしていたら手をつつくものがいるとか!家のKさんに確認を頼んでいるようでしたが、Kさんははしごの高い所には上れません。
丁度そこへ、社協のTさん登場。平蔵さんに言われ、はしごに上ったTさん6羽ぐらいヒナがいるとのこと。
Tさんが早速携帯電話で撮影。Kさん見せられても良く分からないとのこと。平蔵産がいつもカワラヒワが巣を作るのだが、この時期巣立ちしているはずと言いながら巣の周辺は手抜きの作業となりました。
平成24年4月18日
午後4時は僕の食事です。食事の準備をしていた平蔵さんが少し開いていた窓際に近づいて、あわてて二階の自室に行ってしまいました。
無意識のうちに恥ずかしながら、たらり たらりとよだれが流れてしまいます。戻ってきた平蔵さんはフードの入った器を置くのと一緒に「OK、OK」と言いながら裏庭に飛び出してしまいました。
手には録音機と杖をパタパタさせながら、野鳥がさえずっている方向に向かって。帰ってきて、少し興奮しながら「クロツグミ」と。
ツグミ科の野鳥で頭から背中と尾羽にかけて黒っぽくお腹は白地に黒の斑点があるとか。
1日二回の僕の食事、静かにゆっくりと味わいたいものです。
平成24年4月3日
テレビなどのニュースで入社式が報道されている季節となり、新入社員の3割ぐらいが1年以内で転職や退社に及ぶと言われています。
そんな時期、平蔵さんは久しぶりに僕をお供に山の畑に出かけました。目的は「麦踏み作業」。5cmぐらいに育った小麦を足踏みで踏みつけます。最初は2、3mぐらいで手探りをして方向を定めているようでしたが、横を向いての直線移動は見えない平蔵さんには難しそうです。いつになったら終わるやらと、見ていると物置から細いロープを持ち出し畝の方向に張り、それを頼りに踏み始めました。なかなかいいペーストなりました。
「新入社員の皆さん、小麦のように地に足を付けて大きく育って欲しい」とプータローの平蔵さんが言ったような言わないような。小麦の栽培は「ヒバリ」誘致の一つのふざけた方策でした。
3月31日
3日ほど前に県庁の北別館の6階に行きました。平蔵さんは靴を脱いで上がったのですが、僕はもちろん裸足です。
廊下の滑ること、まともに歩けません。少し爪も伸びていたのでしょうか?
今年に入ってから昨日初めて動物病院で爪を切ってもらいました。それまで3ヶ月ほどは平蔵さんが切ってくれました。
ギロチンタイプの爪切りですが、手探りで切るのですから怖くて、1本か2本も切ってもらった後は部屋を逃げ回るのが常でした。
爪をいくら伸ばしてもアイゼンの替わりは勤まりません。やはり、獣医さんに切ってもらえると安心です。
平成24年3月1日
先週は1週間に5日も甲府に出かけました。まるでお勤めみたいでプータローの平蔵さんとしては珍しい出来事です。
甲府駅の自動改札は苦手になった僕ですが、原因を作ったのは平蔵さんが切符と間違えて名刺を入れて僕が改札を抜けようとしたときに平蔵さんと僕を切り離すように扉が勢いよく閉まりました。
さすがの僕もオロオロしましたが、なるべく自動改札はさけ窓口の通路に導いています。
野鳥の猛禽類は子育てに入ったようですし、カワラヒワは鳴き交わして子育ての準備に入ったようです。あと一ヶ月もすれば畑での野菜の栽培が始まります。山の畑に行くのが楽しみです。
1月29日
僕がいつもブラシを掛けてもらっている裏庭の鶏小屋で烏骨鶏が1羽死んでいました。ここのところの寒さに耐えられなかったのでしょうか。
周囲は23日に積もった一面の銀世界です。しかし雪国の皆さんから比べたら問題ではありませんが。畑の隅に深井穴を掘って埋めてあげたのが、平蔵さんの今日最初の仕事?となりました
良いのか悪いのか分かりませんが、平蔵さん十代の受験勉強のために浦賀の防衛大学の近くに住んでいたことがあり、よくラッパの音色を聞いていたそうです。
そんな思い出もあるのか、トップページに「命を捨てて」のラッパの音色を載せました
平成24年1月18日
昨年は大変な年でした。平蔵さんも12月の初めに風邪を引いたのか、気管支炎になりまして本来12月中に終える畑の作業が新年に持ち越されてしまいました。やっていることはたいした事はないのですが。ただ、キウイの収穫が3割ほどでやめてしまったので凍ったキウイが枝先に実ったままの年越しとなってしまいました。あきれたものですが、1月の中旬も過ぎそれらを処分して目処が立ったようです。
そんなこともありまして、12月の予定を幾つかキャンセルしまして僕のお出かけもだいぶ減りました。
1月の中旬になりましてやっと本来の体調に戻ってきたらしく散歩にも連れて行ってくれるようになりました。
11月7日
朝からどんよりと曇っています。平蔵さん、山の畑に様子を見に相棒の僕と出かけました。HP更新のネタもなく、持参の録音機器をザックに入れて。
録音を目指すのは北の国から越冬のために渡ってくる「ジョウビタキ」か山から下りてきている「カケス」がターゲットです。どちらも一ヶ所にはとどまってはくれませんが。
ともかく僕はいつもの畑の小屋の定位置にて平蔵さんの仕事ぶりの見学です。大根の生育状況を見たり、豆を収穫したりしていましたが、近くの林からカケスの鳴き声が聞こえてきました。
早速、平蔵さんは小屋に戻り、録音機器を準備して僕と一緒に林に向かいました。林の近くにはジョウビタキも泣きながら移動しています。しばらく林に入ったところで待っているとカケスの鳴き声。
どうにかトップページに載せるカケスの声が録音できて畑に戻りました。
9月24日
昨日は動物愛護デーのイベントにハーネス友の会として参加してきました。僕の後輩であるアイメイト協会より盲導犬候補犬が2頭協会職員と体験歩行などイベントを盛り上げてくれました。
若くてかわいい候補犬に僕も、もしかして平蔵さんも、平蔵さんは職員の女性かも?落ち着きのない僕に対してチェックを入れられて困っている平蔵さんでした。
多くの人がいる前では叱らないことを知っている僕にはこんなチャンスはありませんから。心の中では「いい加減にしろ」とつぶやいていた平蔵さんでした。アイメイト協会の皆さんありがとうございました。
さて、今日は台風の被害を受けている山の畑に後始末に出かけました。他の畑よりも強固に作られたハナマメの棚もアンカーが抜けて他の作物の上に覆いかぶさるように倒れていました。
昨年は暑さで、今年は台風で収穫は例年の数パーセントといったところでしょうか。数日かかりそうな後始末のお付き合いです。
9月20日
今日は、朝から雨が降っています。平蔵さんは来春のキャベツとレタスの苗の準備をするとか言っていましたが駄目でしょう。
以前、往復はがきでNHKの公開放送の観覧希望を出し、返信はがきが送られてきたので当選のはがきだと勘違いした家族から落選はがきを持たされて、昨日僕と平蔵さんは甲州市市民文化会館で行われたNHKの「いのちの対話」の観覧に出かけました。
もちろん、受付に示した落選はがき。入れる訳はありませんが、係りの職員の方が「しばらく待っていてください」と。
一枚のはがきで二人の入場ができることから、単独で来場した女性に係りの職員の方が話をしていただき入ることができました。
その女性は、面識はありませんでしたが、僕の家から歩いて15分ぐらいのところ「吉田」さんという人でした
と、言うことで【納得して生きる】諏訪中央病院名誉院長の鎌田實さんと「いのち」をテーマに対話しているシリーズの30回目で、ゲストに上條恒彦さんとクミコさんを迎え村上信夫アナの笑いと涙の楽しい対談でした。
係りの職員の方、吉田さんありがとうございました。今後は、スキャナで確認をしますと平蔵さんは反省を心の中でしていたようです。
9月17日
まだまだ残暑が厳しいですね。今日は、山の畑の周囲は5万本のヒマワリが見どころを迎えイベントがあるとか。
ということで、平蔵さんも山の畑には行かないと思います。僕は家の中でゆっくりとお休みといったところでしょうか。
9月11日に会の行事で静岡県の地震防災センターに出かけてきました。僕も平蔵さんと一緒に震度6強を体験しましたが平蔵さんの側にいたので怖くはありませんでした。
たまに山の畑に出かけるときに軽トラの荷台に載せてもらっていたので、そんなことで慣れもあったのかも知れません。災害の備えの講話で各自が10日ぐらいの食料品の準備が必要という話がありましたが、我が家では1ヶ月以上の食料の備蓄を心がけています。
新鮮な鶏肉には毎日せっせと餌を与えていますし、畑にはそれなりの野菜や果物があります。僕のフードも忘れずに早め早めに手配してもらうようにチェックを入れておかなければ。
8月8日
親戚の不幸があり、昨日出かけた平蔵さんは、今日はお留守番です。
家族が出かけた後、平蔵さんは近くの畑の野菜の収穫をしています。いつもと決まって、キュー利、ナス、モロッコ、ピーマンなど。
キャベツもしっかりと固まって収穫時期を迎えていますが、見送ったようです。収穫後、家族から目残しがあると言われるのですが、少し違って、触り残しと言ったところでしょうか。
普通は、キャベツはトンカツやエビフライの付け合わせなのですが、少し違っています。キャベツを食べるタメのミニメンチが載っていれば上々と言ったところでしょうか。
僕も3,4年前でしたら食べて手伝ってあげるのですが年のせいか野菜を生で食べる気にはなりません。平蔵さんももう、しばらくは野菜 ざんまいといったところでしょうか。
8月1日
少し書き込みが遠離ってしまいました。ここのところ話題が無い物ですから。
相変わらず、平蔵さんと山の畑に行くのですが、作業の内容は草取りばかりです。周囲の畑をお花畑にする以前は、今頃、キジがよく僕の休んでいる場所近くまで来たものですが、今年はまだ一度も見かけません。
今までと違うのは、昨年初めて小麦(うどん粉用)を試験的に作付けしました。麦秋となった7月の中旬刈り取りと脱穀したところ40kgを越える収穫がありました。
しかし、製粉器が無いので、未だ粒のままです。今年の秋にはパン用小麦の作付けをして家でパンを焼くのはどうかと家族に話したようですけど、パンは購入する方が良いと、ことごとく反対されたようです。
まあ、僕もそう思います。平蔵産は家族の仕事を増やすことばかり考えているようですから。野菜の栽培と言えば、キュウリやトオモロコシなど保存が難しい物を多く作り過ぎるのです。
この時期になると、キュウリは漬け物とサラダが食事の度に出て、キリギリスのごとく。トウモロコシは食卓の上に山のごとく。食べてる姿は馬のごとくと言ったとこですか。それと合わせて、ナス、インゲン、キャベツ、ピーマンも毎日。
少しは、毎日同じドックフードを食べてる僕の気持ちも分かってもらえるかも?
6月20日
僕の8歳になった写真をトップページに更新してもらったついでの書き込みです。
先週の日曜日、近所の家の畑に設置されている電気柵の通電チェックにその家の人と行きました。近所のおじさん、テスターでチェックしながらうっかり電線を握ってしまい、悲鳴。
その声に驚いた平蔵さんも、うっかり手が前に出たかと思ったら、やはり電線に接触。バチットシビレてびっくりした平蔵さん!
まあ、薄ての手袋を付けていたので、ダメージは少なかったようです。
その日、帰った平蔵さんは、自分の家の畑の電気柵に電気を通すべく本体に乾電池をセットしたり準備をしていたのですが、アースを取っていないので安心したのか、うっかり線の端部を右手にしたまま左手で近くの鉄骨に触れてしまいました。
強烈な電気が右手から左手に抜けたようで、驚いていました。
懲りない物です。今日は、やはり電気柵の新しい本体の乾電池をチェックしながら本体のスイッチを切ったり入れたり。束ねられていたコードの端部が足に接触。やはりバチットしびれたようです。新しく購入した機器、乾電池も新品。あきれたものです。
しかし、もうすぐ収穫予定の2ケ所のうち周囲を獣よけネットで囲った1ケ所のジャガイモが一昨日の夜と昨夜で猪くんのお腹に消え全滅したのですから、平蔵産も少し怒っています。
「次は、地雷原を設置してやる」と独り言をブツブツ言ったとか?
6月1日
昨年の秋に始まった荒廃した畑をお花畑にするという計画でしたが、ごく一部に花が咲いてはいるけども、ほとんどは咲きませんでした。
鹿による被害とか、税金を使っての事業、地元の意見をもう少し採り入れていればと、お役所が思っているかどうかは?
確か、昨年の説明会で役所の方に、平蔵さんが冬の寒さと風が強いので、種蒔きの時期が遅れると菜の種類は育たないと話していたようでしたが。残念です。
お花畑の周囲は電気柵、除草剤散布による黄色く枯れた草。良いのでしょうか、平蔵さん少し怒っているようです。
次は、ヒマワリの種を蒔くとか。こりもせず、平蔵さんはJAの職員に蒔く時期の忠告早く蒔かないと花の時期が9月以降になり、花も小さいし、台風の時期が来ると倒れてしまう…。
今まで、平蔵さんは、そのお花畑の真ん中で、ジャーマンアイリス・ヒマワリ・菜の花などの花を咲かせてきた経験から話したようですが。花はどうでもいいのですが、電気柵で行き場を失った鹿が平蔵さんの畑に多く出没しているようで困っているのは平蔵さんです。
雨上がりの朝、大きな鹿を2頭、僕は見ました。角は落としたばかりでしょうか。無かったです。平蔵さんも真新しい足跡に手を入れ、でかい!と。
5月3日
早朝4時に起こされ朝ご飯をいただきました。うれしいような迷惑のような僕でしたが。平蔵さんもひげ剃りと簡単な身支度をして5時にお兄さんの車で出発しました。
何と、お墓参りだそうです。車内で聞いていますと、平蔵さんの恩師だとか。着いたのは多摩霊園、平蔵さんの曖昧な記憶で広い園内をお兄さんは1時間近くもうろうろと探し歩きました。そのお兄さんも仰天するほど大きなお墓。隣接するお墓には昭和の歴史に刻まれた方のお墓もあり、また園内にはバス路線も走り通路も広々として緑の多い霊園でした。
帰りは、八王子の駅まで送ってもらい、本来では普通の電車で帰るのですが、連休中で込んでいましたので特急に乗ることにしました。駅員さんにすぐ降りるのでデッキで良いですと、大月まで行きますと車内から女性が出てきて降りた方がいますので座席が空いていますよと案内してくれました。やはり、僕でもデッキは落ち着きませんが座席に着いた平蔵さんの足のこうをマクラにしばしの休息を得ました。
4月25日
4月もそろそろ終わりというのに、寒い日です。昨日まで3日連続で甲府に出かけたので僕は少し疲れ気味なので部屋でゴロゴロしています。
思い起こせば平蔵さんとパートナーになったのは、どちらかが選んだというのではなく訓練所で決められたものなのですが僕たちは仲良くやっていると思います。しかし、平蔵さんが飼っている非常食の鶏に最近ドメスティックバイオレンスの状況がみとめられました。
烏骨鶏の雄1羽根と牝2羽根のカップルです。牝をいじめ、生んだ卵を食べてしまうという状況が続いていました。そこで平蔵さんは雄鳥に実刑を言い渡し、量刑は別ゲージの鶏(ブラウン種)の牝ゲージに禁固10日としました。ところが、監視役のブラウン刑務官が体の大きさを武器に制裁を加え始めました。
僕はこの騒ぎで他の鶏が卵を産まなくなるのではないかと思い、弁護役を申し出て、仮釈放の申請をし、2日間で元の状況に戻ったのですが。当面は烏骨鶏のゆで卵は食べられそうにありません。
3月23日
今朝も余震がありました。福島県では震度5強とか、被害地の皆様にはお見舞いを申し上げます。
11日の当日は、パソコンに向かっている平蔵さんを横目に、ベットの上で昼寝をしていた時でした。少しぐらいの地震には動じない僕ですが、長い揺れとパソコンから聞こえてくる怖いという声、机の上に積み重ねてあった点字の印刷物が崩れたのを見て、さすがに僕も部屋の中を走り回ってしまいました。
揺れている最中にラジオを平蔵さんがつけると、アナウンサーがしきりに津波の恐れがあるので至急高い所に避難するようにというような放送が聞こえてきました。さすがに、驚きました。
被災地には僕と同じ盲導犬も居たのではと心配になります。
2月16日
朝目覚めてびっくりです。ワンツー場所の裏庭に行くのですが、雪のため思うように足が運べません。
平蔵さんは長めの長靴ですが、もう少しで雪が入りそうです。そうは言っても雪を除くまでは待っていられませんので雪にお腹を付けたままのオシッコは妙な気分です。
僕も足の長さには自信を持っていたのですが、今回の雪には負けました。平蔵さんの除雪作業に期待するだけです。
平成23年2月5日
先月末には僕の所属するハーネス友の会の新年会が行なわれました。今回は地元のフランス料理のお店でした。
新しいお友達も増え、和やかな会となりました。県内の盲導犬も増えてきて良いことだと思います。
3日には平蔵さんの所属する会の用事で甲府に出かけてきました。帰りの電車の中で、近くに座っている女性が、僕をみて「盲導犬を見るとかわいそうでならない」と車内に聞こえるような声で隣の女性と話していました。
平蔵さんの足元にじっと伏せている僕を見てだと思いますが。他の犬はどうでしょう?平蔵さんも僕も知らん顔。
どのように思うかは勝手ですが、周囲に聞こえるようにそんな話をするのもどうかと思います。
平成23年1月2日
皆様 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
元旦も今日もとても穏やかな日となっています。北陸では大雪で交通状態がマヒしているとか。
雪も無く、いつでも散歩ができるので上々といったところでしょうか。しかし、散歩から帰ってくると平蔵さんに足をお湯で洗ってもらいます。家の前の県道に融雪剤が散布してあるからです。
この融雪剤(塩化カルシュー無)はかなり毒性が強いということです。ヨーロッパでは使用していないとか?
お互いに気をつけましょう。
平成22年12月24日
この時期は太陽が南にあるので、平蔵さんのお部屋の真ん中(ベッド)まで日が当たっています。
平蔵さんは僕を部屋に残し、果樹の剪定した枝を畑の真ん中で燃やしています。そんなときは、平蔵さんのベッドの上でお昼寝です。
休憩なのか、いきなり部屋に戻ってきた平蔵産「マロになってしまった」と独り言。炎にあまりにも近づきすぎて、眉毛が焼けたようです。
じたばたしても、今年もあと数日。僕は昼も夜も寝て過ごしています。皆さん良い新年をお迎えください。
11月3日
早朝暗いうちに起きて、静かな田舎を離れ都会に出かけました。第5回視覚障害者向け総合イベント[サイトワールド2010。]すみだ産業会館サンライズホール (東京都墨田区)です。
行きのバスの中では、最近年とともに針に糸が通らないなどという平蔵さんのくだらない話を聞きながら、じっと耐える僕でした。会場に着くと、平蔵さんはまずは、糸通しを見せてもらったのですが、期待外れに少しがっかり。しかし、本人が使いもしない針のセットを購入。
様々なブースを見ているうちに会場は混雑してきました。久しぶりの都会、お友達も多くマゴマゴしてしまいました。エレベーター内でアイメイト協会の支援団体の会長と会い、話によるとアイメイト協会出身の盲導犬が今日は8頭来ていましたとのこと。
ロビーで休憩中に近づいてきた女性が「どうですか盲導犬は?」と尋ねてきました。間髪入れずに「活躍しています、猟犬として」と平蔵さんが言ったものですから。無言で立ち去った女性。協会の関係者でなければ良いのですが。僕の首には番号札が付いているので、僕と平蔵さんの履歴が分かってしまいます。
10月17日
今朝は、我が家の前の県道が少しにぎやかです。甲州フルーツマラソンのコースになっており、給水所の準備を役所の皆さんがしていました。平蔵さんは、2階の洗面所で棚を取り付けていましたが、僕はベランダでおもての様子を見ながらお休みです。
先導車がマイクでランナーが通過することを告げると、平蔵さんに連れられて僕も庭先まで出て、応援する平蔵産の足元でランナーの皆さんを眺めていました。さすがに上り坂ばかりのコース、大変そうでした。最後の方になると、ランナーの方が、僕を写真に撮ったりして、余裕がありそうでした。
過酷なコースではありますが、懲りずにまた次回も挑戦してみてください。お疲れさまでした。
10月14日
平蔵さんの子供の頃には、山の畑に行くと、ヒバリが囀っていたとのことです。そのころには、果樹園や桑畑、麦などが作られていたようです。
またヒバリが空高く囀っていればと、平蔵さんは小麦の種を取り寄せ、今日は山の畑で小麦の種蒔きをしました。
次から次へと厄介ごとを持ち込む平蔵さんであります、と。家の者も言っています。
9月13日
昨日は、夏風邪が治りかけた平蔵さんと、鎌倉・横浜方面に一日出かけてきました。鶴岡八幡宮では、暑さに対してでしょう。後ろから犬がかわいそう、と。
横浜のラーメン博物館の入り口では、こんな所に連れてきて…と聞こえました。どちらも若い女性の声。平蔵さんもそれなりの準備をして、涼しい所を心がけて移動をしてくれます。むしろ、家で留守番の方が、僕には辛いのですが、常に行動を共にするということを理解してもらいたいと思います。
8月8日
今朝は薄曇り。昨日より少し涼しい日曜日。
早朝より聞こえてくる草刈機の音。暑さと時々の雷雨で雑草は勢いが良い。畑や宅地の周辺の大変な作業である。
僕は、昨日一日出かけていたので、今日は涼しい部屋でお休みです。
7月22日
ここ数日の厳しい暑さ。できれば庭の木陰に穴でも掘って入りたい心境です。家の中で、涼しそうな所を選んであっちでゴロリ、こっちでゴロリの状態です。
小作人平蔵さんも畑の作業は午前中に限られているようです。午後からの作業は、作物への水やりぐらいでしょうか。しかし、こんなときこそ草取りには効果が得られると思うのですが。この時期は雑草と蚊やブヨとの戦いですね。
今日は、たまたまお留守番。しかし、明日から出かける予定が。甲府盆地の底には降りたくないですね。なにしろ風邪が暑いのですから。
6月15日
6月15日は僕の誕生日です。7歳になりました。
早速庭先の赤いバラの前で記念写真を撮りました。あまり目立たないですが白髪もチラホラ、歳には勝てないですね。
12日に平蔵さんの付添で結婚式に出かけてきました。チェックの洋服を着て行ったのですが、少しサイズが大きすぎたようです。
結婚式には行きたがらない平蔵さんも、組長ということで、乾杯の音頭を頼まれていたので出かけました。
テーブルの下でまだかまだかと終わりを待っていると、隣のテーブルから少し酒に酔ったおじさんがご馳走をくれました。平蔵さんの目を盗んで僕もついパクリと口の中。お祝いの席、平蔵さん苦笑いでした。
3月15日
早朝より窓の外からウグイスの声が聞こえたような気がして目覚めました。ベッドサイドに前足を掛け、平蔵さんを起こします。はっきりとウグイスの声が聞こえ、平蔵さんも「初泣き」と言いながら起きました。
早速、ワンツーで庭に出ると、なかなか上手なウグイスの声に、コゲラ(キツツキ)も応え、ビー、ビーと泣きながら木から木へと移ります。春が来ました。
3月11日
3月7日〜8日に行われた関ブロ協議会に参加した平蔵さんも、少しばかりのお役目を果たし、通常の日常が戻ったようです。
審議された内容を発表するとかで、ホテルの部屋に入っても、その内容の調整に点字で夜中まで打っていたもので、僕もいささか睡眠不足となりました。やはり、我が家の定位置が一番です。
家族の都合で、鶏の世話を始めた平蔵さんは、巣箱に入っている鶏を手探りでどかそうとしたら、手のひらに、ポコリと温かい卵が、偶然にも落ちてきたとうれしそうでした。一方の手で頭をポコリとやったのではと、少し怪しいです。
庭の梅やスイセンも咲き始め、いよいよ春が来たようです。
平成22年2月15日
男子モーグルの中継をテレビで聞いていた平蔵さんは、決勝が始まるまでの1時間30分ほどの時間を裏庭で薪割りを始めました。
五輪の影響で、年甲斐もなく、身体を動かそうとしているようです。
薪にする木は、庭木や畑の果樹などで大きくなってしまった木の処分に困った苦肉の策です。
平蔵さんは、薪ストーブのある部屋を夢見ているのですが、家族の反対で実現はできません。JA祭りで購入した仮設のカマドが裏庭に備え付けてあり、そこで燃やすぐらいです。
しかし、薪割りも斧を使うのですが、5回振り下ろして、丸太の小口に命中するのは1度か2度と言った確立です。あとは地面に突き刺さっています。机龍之助(つくえ りゅうのすけ)のような訳にはいかないようです。
平成22年2月2日
昨日は肌寒い一日でしたが、午前はNHKで平蔵さんの取材がありました。内容はITを使った在宅就労との事です。
午後は、僕は動物病院に出かけました。原因ははっきり分からないのですが、県道に融雪剤の散布が始まってから体調が悪くなりました。ここ十日ぐらいは散歩はしないようにしています。
平蔵さんがHPで調べたところ、やはり塩化カルシュウムは環境に悪いとの情報もあったようです。
平成22年1月9日
今シーズン始めての銀世界の朝を迎えました。3cmほど積もっているでしょうか。
朝一に白銀のキャンパスにワンツーの図柄を描き、その後はストーブの前を陣取っています。
平蔵さんは、家の周りの通路だけでもと除雪しています。県道ではペイローダーが路面に張りついた雪をガリガリと音を立てて除雪しています。
今日の散歩はどうなるかは平蔵さん次第ですが、午後からは山梨学院高校がサッカーの準決勝に臨むので応援したいと思っています。
では、皆様本年もどうぞよろしくお願いします。
10月31日
平蔵さんの全国アビリンピックの付添で、僕の幼少の頃を過ごした茨城県のひたちなか市に来ています。
競技の終わった平蔵さんが、ホテルの一室でHPの更新をしています。
少ない時間でしたが、僕を育ててくれたパパさんとママさんが会いに来てくれました。ペガサスも一緒で、とてもうれしくなってしまいました。
成績の思わしくない平蔵さんも、気分が楽になったようです。
10月27日
さすがの僕もびびりました。家の裏の畑の隅に僕のワンツーの場所があるのですが、寝る前に平蔵さんに連れられていつもの場所に行こうと、芝生のスロープにさしかかった瞬間、僕は思わず口の中でバウバウと吠えてしまいました。
ほんの4,5メートル先の家庭菜園のサツマイモをバリバリとイノシシ君が食べているのです。僕と平蔵さんに気が付いて、イノシシ君も威嚇の泣き声で応戦してきました。平蔵さんは僕を家の中に連れ帰り、物置からスコップ、鍬、鉄パイプなどを持ち出してきて、イノシシ君が発声している方向に投げつけました。投げるえものが無くなると、また少し離れた物置小屋にカナテコを持ちに行ったのですが、イノシシ君もそのすぐ後を追い、威嚇。平蔵さんは、逃げ場を失い、キュウイの鉄パイプの棚に避難。今回は平蔵さんの敗戦となりました。
8月31日
やっと本来の食欲が出てきました。なにしろメニエルのような表情に、この僕がなったのですから。
平蔵さんの会議だの、講演会だの、納涼会だのにおつきあいも大変でした。家にいれば緑のそよ風に気持が良いのですが、甲府の町は暑いのです。
室内にいるときは冷房、行き帰りは猛暑。それに納涼会のカラオケときました。平蔵さんはカラオケでジンマシン、僕はメニエルです。さすがに、食事どころか水もうけつけませんでした。平蔵さんが心配になり、病院に連れて行ってくれたのですが。やっと体調が戻りました。
最近は、僕も平蔵さんと丘の上の畑に行って畑で作業をしている平蔵さんを眺めているのが一番だと感じるようになってきました。
半月ほど前ですが、高校野球を聞きながら平蔵さんが膝をついて雑草を除去していました。僕からは50メートルほど離れていたのですが、2頭のイノシシが平蔵さんがいる場所にひょっこり現れ、ラジオと平蔵さんの気配にびっくりして畑を突っ切り隣地の草藪に消えていきました。背後を勢いよく走り去ったイノシシに平蔵さんもあきれて笑っていました。
イノシシ君も、おいしそうな作物は目と鼻の先に有るのですが、電気柵を巡らせてあるので、なかなか近づけません。湿った鼻で線に触れば目から星が飛び散るのは間違いないでしょう。
8月15日
平蔵さんもかねてより計画していた、僕と平蔵さんだけの登山を決行する日がきました。
7月に予定していたのですが、週末ごとに天候が悪く延び延びとなっていました。
基本的には公共交通を利用し行いました。7時に家を出発して、バスで塩山駅、電車で甲斐大和駅に、駅からバスで上日川峠(終点9時)に到着。
ここからは歩いて大菩薩峠を目指します。標高1500mを越える空気は冷たく感じます。途中の分岐で予定ルートを外れ、唐松尾根コースに入ってしまいましたが、僕と前後しながら登っていた男性に様子が違うので平蔵さんが聞いたところルートが違うのに気が付きました。分岐まで引き返す途中も登ってきたグループに教えられ予定のコースに戻れました。
途中で休みながら平蔵さんは野鳥の声に耳をかたむけていましたが、あまり聞こえてはきません。やはり時季が遅かったようです。しかし何度かウソの群れが鳴き交わしながら頭上の枝先に群れているようです。少し時間はロスしましたが、大菩薩峠(標高1890m)に10時30分到着。
少し平蔵さんが山小屋のご主人と話をして下山となりました。
昇りはあまり気にはなりませんが、下りは、不規則な岩の段差など、随分気を使ってしまいましたが、平蔵さんも白杖で確認しながら平坦の道路がある所まで下山。谷川の流れの淵でお弁当です。昼食を食べない僕にも、今日は特別、平蔵さんのお弁当を分けてくれました。
まだここは標高1700mです。通りかかった登山者は谷川の水に手を浸し、「キャー、冷たい」と悲鳴です。
10km以上の道程を、午後の天候を気にしながら、途中の山小屋のご主人と少し話をし、帰りは別のコースで下山です。家まで歩く予定だったようですが、僕の足を気遣ってか携帯電話で家に電話をして、残り6kmぐらいでお迎えの車が来て無事帰宅です。
6月9日(火曜日)
平蔵さんも、慣れない手つきでリンゴの実を適度な数に調整しながら袋をかけています。すぐに飽きてしまい、山の畑に出かけることになりました。
僕も居眠り中を起こされ、出発しましたが、何をするのかと思えば録音の準備を始め、カッコーが近くまで泣きながら近づいてくるのを雑草を取りながら待っていました。
林の方からアオバトの声も聞こえてきますが、少し遠すぎるようです。しかし、平蔵さんのこと、次にはきっとアオバトも録音するために林にわけいることでしょう。
平成21年5月4日
今日は緑の日です。里山も新緑にまぶしく感じられる時季となっています。おまけに、平蔵さんの畑も緑で埋まりそうです。
いよいよ、平蔵さんの草取り作業の解禁となり、ネギとラッキョの中の雑草を取っています。僕はいつもの定位置で作業の終るのを待っています。
畑の隅では、知り合いのおばさんが大きな声で雑談をしながら山菜(コゴミ)を取っています。世間ではゴールデンウィークなのですが、僕は春風に吹かれながらうとうとと仮眠中。
4月1日
目覚めの早朝は、野鳥のサエズリデ気持の良い朝の季節となりました。
平蔵さんの家に来てから、4年になろうとしています。当初、ワンツー場所として、平蔵さんが10平方メートルぐらいの敷地に芝を張ってくれました。
緑の芝生にオシッコをするすがすがしさは最高でしたが、次第に黄色く変色。
芝生が枯れてきたのです。そこでやむなく、裏庭の片隅の雑草を刈り取った場所に変わったのですが、僕が歩く場所も芝を張ると、平蔵さんは造園屋さんを始めました。
地元のJAに無公害除草剤として、濃縮オシッコ(オーディン・ブランド)を売り出してはどうでしょう?
平成21年2月27日
僕にとっては、難しい題名なのですが、平蔵さんの付き添いとして一緒に会議に臨みました。
障害者総合計画の策定と障害者が抱える様々な問題を医師をはじめ福祉サービスに携わる方々や団体の代表が意見を出し合い解決に向ける会議と思っていた平蔵さんも、少しとまどっています。
行政で数値目標を実績を考慮して書面にした物を皆さんに諮られるのが主な内容でした。委員の皆さんの発言はほとんどありません。
そこで、平蔵さんの質問で、ガイドヘルパーについての質問がありました。
「高齢化の進むヘルパーさんの今後の養成についてどのように考えているかとのいうことです。
県は市に委ねるといった状況のなか、当局は「市では、ガイドヘルパーの資格は問いません。事業所にお任せです。と無責任な解答。会議の後、事業所に聞くと、「ヘルパーさんの登録になんの資格もいらないという話は初めて聞きました」とのこと。
誰でも、ガイドヘルパーが登録され、資格障害者のガイドができるということになります。
僕の立場はどうなります!恐ろしい訓練を受け、やっと盲導犬になれたのに。
そこいらの野良が登録すれば盲導犬になれますか。大げさに言えば、命を託すのですよ。国の偉い人も無責任な言動、末端の行政も無責任。これからどうなる、日本の福祉。「少」し大げさか?
平成20年11月28日
冬を迎え、畑仕事も今シーズン最後の作業工程となってきました。
今日も平蔵さんと一緒に岡の上の畑に来ています。
11月15日の狩猟の解禁で妙に静かな感じがしています。いつもなら畑の周りで見かけるキジも姿を消しています。
平蔵さんの作業や、西方に雪の冠をかぶった南アルプスを見ながら、ラジオの党首討論を聞いていましたが、議員の先生方のヤユや怒声で、まるで猿山の縄張り争いのようです。あきれたの一言です。
畑では、大根の収穫は終わり、あとは野沢菜やネギはこれからの収穫です。
平成20年11月1日
先週の千葉県から帰宅後も出かけてばかりの平蔵さんも、今日は本来の小作人に戻り、柿やリンゴの木の葉がカサコソと落ちる時季を迎え、庄屋の婆さんの命令により、ゴボウと里芋を掘っています。これが、本来の平蔵さんの仕事なのですが。
思いがけずアビリンピックの全国大会では入賞者の席の一番後ろに座ることができ、来年の茨城県の大会には県のアビリンピックでの成績も考慮して、出場はできるようなので、僕としては幼少の頃に育った茨城県の日立に行けるのを楽しみにしています。
平成20年10月25日
平蔵さんは、千葉県の幕張にあるホテルの一室にいます。
全国アビリンピックに挑戦し、惨敗を記したのであります。やはり全国のレベルは高い?と思っているのかどうか。言い訳としては、前日のパソコンのトラブルを言い訳にしたいのでしょうが、本番は平蔵さんの頭の中がトラブッテいたのです。
しかし、最近では泊まったことの無いような広い部屋に泊まれて喜んでいたのですが。何を考えているのやら。あとは、閉会式に出るだけなので、ゆっくりできそうです。
9月13日
朝晩の涼しさも気持が良い季節となりました。世間では、ブドウなどの収穫が最盛期となっています。
小作人平蔵さんも、今年初めて栽培した「キビ」と「粟」の収穫の作業を始めました。
しかし、キビの収穫を始めた時に、事件は起きました。そろそろ収穫の時期と平蔵さんが畑に行きますと、ほとんどのキビは盗難に遭っていました。
しばらく呆然としていた平蔵さんも、犯人の目星がつきました。
平蔵さんが居るのにもかかわらず、「カワラヒワ」「スズメ」がキビをついばんでいるのでした。
平蔵さんの家の災害時の保存食である鶏の餌を掠奪した罪は軽くはないと、平蔵さんは告発しました。
緊急時の事と、検察側はカワラヒワとスズメに極刑の焼き鳥の刑を求刑しました。それに対して、オットー弁護士は、「雑草の中にキビが栽培されている、カワラヒワとスズメは今年に生まれた者も含まれていて、人間のように義務教育を受けていないので、罪の認識が無いことを弁論としました。
オーディン裁判長が今回は、独自の判決を言い渡すが、次回からは、裁判員を招集し、意見を聞きますと、前置きをして「判決、平蔵氏が草取りはまにあってはいないが、いつもその畑で作業をしていること、盗難防止の対策を怠ったことを考慮し、今回に限り不起訴とする」と判決が出ました。
キビの収穫はあきらめた平蔵さんは、粟の収穫に汗を流しているのでした。
8月17日
オリンピックも女子のマラソン。僕の地元でも大菩薩峠へひたすら登る登山競走の日です。
昨日までの暑さより少しは涼しいと思いながらも、平蔵さんは相変わらず、岡の畑に出かけました。
やはり、今日も草取りの作業です。いつもと違うのは、傍らのラジオから聞こえてくる北京五輪の女子マラソンの実況放送です。
汗だくになって作業をする平蔵さんも、マラソンや登山競走よりもよっぽど楽だと言いながら。いつまで続くのか、僕にはあまり関係はありませんが。
しかし、畑の中でキリギリスがないているようでは、いかに草がすごいかを物語っています。
平蔵さんは童話の「アリとキリギリス」のどちらに当たるのでしょう。
8月5日
今日は、昨日の雷雨が影響してか少し涼しい朝を迎えました。甲子園も熱戦が繰り広げられています。
我が家の平蔵さんは、畑の雑草との戦いです。やはり、予想したように緑海にちらちら見えるのは平蔵さんのムギワラ帽子だけで姿は緑水のなかです。こうなると大変なのは分かっているようなのですが、なかなか初期段階での対策は取れていません。
僕にとっては、人ごと。野鳥のさえずりに替わり、壊れたバイオリン奏者のキリギリスの演奏が盛んになりました。もうすぐ秋の気配を感じさせてくれます。
7月6日
今日は、甲府に出かけました。甲府盆地は暑いですね。
ボランティアセンターの中にいるときは良かったのですが、駅までの道は暑かったです。駅について平蔵さんが、凍らしたアルミのペットボトルを取り出して僕に冷たい水をと、包んでいたタオルが吸い取っていました。
なんと、凍った膨張で破けていたのです。僕もつい「フーッとため息が出てしまいました。
冷水とはいかないがと言いながら、平蔵さんがキヨスクでスポーツドリンクを買って飲ませてくれました。
夕方には雷雨があり、日中は猛暑です。
喜んですくすく成長するのは畑の雑草。
昨日も、平蔵さんと岡の上の畑に農作業に出かけ、僕はいつもの定位置で涼しい風を受け、野鳥の声を聞きながらお休み。
しかし、平蔵さんは、家族から余り無駄に作物を作らないように言われているのですが。手を広げすぎて、雑草の処理に追われています。
一通り草を取り終わるころには、最初に取った場所は、この気候です、もう草で真っ青。
左手は触覚のように作物に触りながら、右手は自分で改良した特製のタチガンナで草を取っていました。もうしばらくすると、草取りをしている平蔵さんも雑草の中に埋もれながらの作業となるのでしょう。お疲れワン。
6月15日
今日は僕の誕生日です。5歳になりました。
平蔵さんと暮らすようになって3年になります。来た当時は、畑の小屋の近くで平蔵さんが作業をしていても、寂しくてクンクン泣いていましたが、今は畑であれば、かなり遠くに平蔵さんがいても寂しくなくなりました。僕も大人になったでしょう ワン。しかし、知らない所では、やはり不安で泣きたくなる小心者です。
6月11日には、東京の代々木にある東京体育館に行って来ました。久しぶりの東京です。
平蔵さんの会の全国大会で、平蔵さんも眠そうに拍手をしていましたが、終わってからバスに乗るまでに1時間以上もかかってしまい、予定を1カ所キャンセルして遅い昼食をして帰ってきました。
僕にとっては少しでも早く夜の食事ができるのでラッキーでした。
6月4日
平蔵さんの所属する会の主催で、歩く会に行きました。
場所は、市内の勝沼駅の近くにある、JR中央線の古いトンネルです。
一つは、深澤トンネルで長さ約1キロで、中にはワインが貯蔵されていました。1年を通して低温の安定した気温でワインの熟成には適しているようです。
もう一方は、大日陰トンネルで、長さ約1,5キロで遊歩道となっています。どちらのトンネルも100年以上の時を経て壁は煉瓦で出来ていました。平蔵さんは、その構造に興味があったようですが、僕はただ涼しく歩けるトンネルの中が気に入りました。
5月18日
最近は水田も少なくなりましたが、田植えの季節となりました。田植えの終わった水田では夜になりますと蛙の合唱が聞こえてきます。
ここ数日、家から少し離れた畑に平蔵さんと出かけています。今は様々な野菜の種蒔きの時期のようです。
僕は畑の小屋で野鳥のさえずりを聞きながら作業の終わるのを待っています。雄のキジがすぐそばまでやって来てテリトリーを主張しています。今日は夏鳥のカッコーの声を今年になって初めて聞きました。とのどかな日々を過ごしていますが、今日は僕の大切な人の結婚式の日です。
5月2日
昨日は、平蔵さんの用事で甲府に出かけました。暑かったですね。僕は暑いのは苦手です。
苦手と言えば、もう一つ、初めて平蔵さんの家に来て、蒸し暑い夏の朝でした。いつもの様に岡の上にある畑に散歩に出かけたときです。僕たちの前方を行くトラクターが止まっています。「道の真ん中に大きな蛇がいる」と知らせてくれました。
平蔵さんは、「ありがとう、大丈夫です」と言ったので、トラクターは蛇を避けて行ってしまいました。トラクターに驚いた蛇は、なんと僕の方に近づいて来ました。おもわずぼくは平蔵さんの後ろに隠れるように震えていましたが、平蔵さんの手前で蛇は草むらにガサガサと消えたようです。その時から蛇は苦手になりました。
また、そんな季節がやって来ました。その道を通って、今日も散歩です。畑の小屋で休憩をしていると、平蔵さんはポケットからビニール袋を取り出し、畑の隅にある草むらで茎の先が渦巻きの形をした山菜を取り始めました。
いつも持ち歩いているビニール袋、平蔵さんが吊していると、オーディン君も大きいのを大量にするんだねと思われそうで、つい鼻が赤くなる思いがします。まさか平蔵さんが山菜のコゴミを袋に入れて吊しているとは思わないですからね。今月は、大蛇の戦いの予感がします。
4月13日
中央線の塩山から甲府まで、38年ぶりにSL(D51)が走ると言うことで、平蔵さんも懐かしさと言うべきか、あまり記憶に無いと言いながら汽笛の録音に出かけました。
前日は上り線の線路際に陣取って、警備に当たるJRの職員の方と話をしながら待っていたのですが。SLが通過の直前からカメラを持った親子連れが隣にきて、カメラを構える父親に向かって子供が騒ぐし、父親の携帯電話は鳴るし、録音に失敗したのです。
今日は、イベント最後の日。今度は、カメラマンが集中する上り線側を避け、地域の人に聞きながら、神田神社の裏側の路地を入りました。
平蔵さんも、ここは大きなダンボールの箱を持って来れば、良いねぐらになりそうだ」と独り言を言いながら場所を探していました。
僕は、こんなじめじめしたところは、夏になると蚊が多くいそうでいやだと思いながら、少し前進するのに躊躇しました。
やっと、駐車場らしき、少し広い所にでたので、ここで録音をすることにしました。遠くから汽笛も聞こえて、準備万端と思ったのですが、SLが近づくにつれ、近所のおばさまたちが集まって来て、今度は噂話に夢中で、どうにもなりませんが、平蔵さんも少しあきらめぎみに録音を開始しました。まあ、こんなものでしょう。
3月24日
心地よい春の日差しを浴びながら、平蔵さんと散歩に出かけました。途中の林から、まだもどかしいウグイスのさえずりが聞こえ、池も無いのに鴨かまたは蛙の声が聞こえました。
そこまでは、良かったのですが。僕の歯磨きに使う綿の手袋で、家の中に進入してきた「カメ虫」を平蔵さんの妹が恐れ多くもつまんで外に出しました。
手袋は、強烈な臭いがしていたので平蔵さんも洗ってはくれたのですが。乾いた後で、その手袋を使って僕の歯磨きをしてくれました。
しかし、僕の嗅覚は平蔵さんの1000倍以上も敏感なのですから、だいぶ堪えました。
そんな事で、涙ぐんでの春を感じた日でした。
3月6日
平蔵さんも、友達からもらった携帯電話の万歩計を使って、散歩の歩数の記録が再会されました。
でも、そろそろ農作業の季節到来で、散歩の遠出は少なくなると、僕は期待しています。
今日も、裏庭で野鳥のさえずりを録音しながら、直径20cmもあろうかと思われる、サクランボの木を抜こうと掘り起こしていました。2本のサクランボの木の1本は前庭に移植するようです。
毎年実はなるのですが、熟れるころになると、野鳥のヒヨドリが襲来し、食べ尽くしてしまいます。僕は一粒も食べてはいませんが、平蔵さんもおそらく食べられないと思います。
何しろ朝は野鳥より起きるのが遅いのですから。今まで、いつ見張りをおおせつかるのか僕もドキドキしていたのですが、ひとまず安心です。
2月19日
点字の学習会に家から6キロ近くある距離を平蔵さんは歩き出しました。
途中でJAで買い物をしましたが、所用時間は1時間と10分ぐらいでした。僕も必死で歩きましたが、ほとんどは下りでしたので助かりました。
会場で、平蔵さんの足下で、待機状態でいたのですが、ついうっかりと寝言を言ってしまいました。
びっくりしたのは、学習中のおばさまたちでしたが。
平蔵さんいわく「いつも家では寝言を言っている」と。僕も何処でも寝言を言うのは遠慮していたのですが、何しろこの日は長く歩きましたから。
その翌日からは、万歩計が壊れたとかで、散歩の距離がぐっと短くなりました。ほっとしています。
今日は、いつもより机に向かう時間が長いようです。市役所からきたアンケートの依頼が墨字だったので、アンケートを点字で提出するようです。点字の文章が終わってから、市役所から、SPコード付きの書面を届けたいと言って来ましたが、「点字の文章が出来ているのでそれを送るので読んでください」と返答をしていました。
目には目と言った少し頑固な平蔵さんですね。「あきれたものです ワン」
2月1日
昨日は、社協主催のボランティア?研修に出かけました。
どちらかと言えば、平蔵さんはボランティアのお世話になる方ではと僕は思うのですが。むしろ僕が誘われたのかも知れませんが。と最初は思っていたのですが。
行き先は朝霧高原にある盲導犬の訓練所と花鳥園とのことでした。しかし、出発の前日に花鳥園はフクロウが飼われていると言うことで、犬は入れないとのことでした。平蔵さんもそのときは別行動でもと思っていたようです。
しかし、当日バスに乗る前に盲導犬の訓練所では見学の際、同伴の盲導犬を事務所で預かるかもと言われました。
「訓練所が盲導犬と使用者を引き離すなんて。それでは私は行きません」と平蔵さんも言いだし、そこですったもんだの騒々が。
こんな時は、かなり頑固な平蔵さんです。僕も初めて見ました。僕としても、皆さんと行動が出来ないのは困るのですが。
やっと、訓練所に電話を掛けてイタ女性が、僕と一緒だと見学が出来ない場所もあるとの事で、仕方なく平蔵さんも行くことにしたようです。
一日にして、一年分の差別を受けたような気もしますが、バスの中では、毒舌の平蔵さんに、僕は、そのうちに平蔵さん共々どこかに置き去りにされるのではないかと心配になります。
平成20年1月26日
早くも、1月も数日を残すばかりとなりました。4日前に降った雪もまだ残っている中、いつもの散歩コースに昨日に引き続き出かけました。
昨日は、平蔵さんは雪中散歩などと独り言を言いながら、ゴム長をはいて出かけましたが、僕はいつもの素足のままです。僕がなんぼ犬でも、やはり冷たいものは冷たいのですが。
しかし、僕は気づきました。平蔵さんのはいている長靴は穴があいているのです。10cmぐらいの雪を踏み分けながら散歩していたのですが、やっと平蔵さんも気づいたようです。
長靴の中に雪が入り溶けて靴下が濡れてきたからです。遅すぎました、散歩道の折り返し地点まで来ていました。
今日は、さすがに平蔵さんも山に登る時に使う防水の靴を取り出し、準備は良好などと独り言を言いながらまた雪の残る散歩道に出かけました。やはり、雪があると歩きにくいですね。
道路の左側を歩くのですが、除雪の雪が固まって行く手を遮ったりもしています。
雪のせいか、昨日はポールという犬に出会い、今日は、いきなり僕に近づいてきたのは「エルマ」と呼ばれている犬でした。
すぐに女性が「エルマだめよ」なんて言いながら近づいてきてエルマにリードをつけて引き離してくれましたが、僕は平蔵さんに叱られながらも少し心がうごきました。
他の犬は、雪原を自由に駆けめぐっているのに。たまには僕のマオちゃんにも負けない華麗なワンツースピンを見せつけてやりたいですね。
平成20年 新春レポート
僕はオーディン・ラブラドール・矢崎です。
平成17年7月9日に平蔵さんの家に来て、2年と半年になろうとしています。早いものですね!
練馬のアイメイト協会の訓練所で平蔵さんと共同訓練を受けて、どうにか卒業と言うか、追い出されたと言うか。まあとにかく一緒に吉祥寺の駅で放免されて後ろ髪を引かれる思いで改札口を通ったのです。その日、塩山の駅に降りたときは暑かった記憶が残っていますが。
今は、平成20年の新春を迎え、なんと平蔵さんは、今年の目標は何もないからと、万歩計で毎日5000歩以上を歩くと言っています。
とんでもありません。僕の立場としては、なんぼ足が長いと言っても。こんど僕にも万歩計を付けてもらいたいと思います。平蔵さんの5000歩に対して僕は何歩になるかを。
まあ、そんなに新年早々愚痴をこぼしても仕方がありませんが。
しかし、最近はどうにか僕との呼吸も合ってきたようです。
いつも一緒にいるのに、最初の頃は、僕が「オシッコさせてくれ」と合図を送っているのに行こうとするので、つい立ち止まると平蔵さんも何事かと僕の方に向きを変えたので、チャンスとばかり、平蔵さんの靴にオシッコをひっかけてやりました。
そんなことも2度ほどありましたが、この2年と半年に何回も旅行に行けたし、また今年もどこか行けることを期待しているのです。